特集
コラム 日伯セラード農業開発協力事業(PRODECER) 世界の食糧安保を先取りしたセラード農業開発
本郷 豊
独立行政法人 国際協力機構(JICA)中南米部 上席主査に聞く
“宝の山”をいかに活用するかが課題
――セラード農業開発とはどのような事業だったのですか。
本郷 セラード地帯はブラジルの中央高原地帯にあり、面積は約2億ha、日本の面積の5.5倍で、ブラジルの国土面積の22%を占める広大な地域です。私が赴任した頃のセラード地帯は、潅木林地帯が広がるまさに「不毛の大地」でした。そこがわずか四半世紀のうちに世界有数の穀倉地帯へと劇的な変貌を遂げました。現在ブラジルは、米国に次ぐ世界第2位の大豆生産・輸出国になっています。
このセラード農業開発の牽引車となったのが、79年9月から2001年3月まで21年間にわたって行われた「日伯(日本・ブラジル)セラード農業開発協力事業」(PRODECER)でした。この事業の特徴は、農業フロンティア地帯に開発拠点を造成するものです。資金協力と技術協力を両輪とし、文字通り日伯双方の官民合同による「ナショナルプロジェクト」として進められました。3期21年で総事業費693億円を投じ、8州で21の入植地を造成し34.5万ha(東京都より少し大きい)を開発、717戸の農家が入植(うち154戸が日系農家)しました。PRODECERの開発はセラード農業開発全体の3.5%に過ぎませんが、食糧生産や地域開発へのインパクト、環境保全に寄与したことが高く評価され、セラード農業開発の大きな推進力となりました。
大豆国際市場の安定化をもたらす
――日伯セラード農業開発協力事業をどのように位置づけますか。
本郷 日伯セラード農業開発事業は今から30年も前に遡りますが、そのスケールの大きさ、目標としたものは、まさに今日のイコールパートナーとしてのブラジルの役割を先取りしたような先駆的な事業と位置づけられると思います。
この事業が始まる直前の73年、米国の穀物相場が暴騰し大豆の禁輸措置がとられました。当時、穀物の大半を米国一国に依存していた日本にとって、大変大きな衝撃でした。そこで食糧輸入先の多角化、食糧安全保障への気運が高まり、同年には第1次石油危機も勃発するなど、資源外交が活発化した時期でした。一方、ブラジルも穀物増産を目指し、セラード地帯の大規模農業開発を目論んでいました。
こうした中、日伯両政府によるセラード農業開発協力事業の実現に向けた討議を通じて、@ブラジル国内の地域開発への貢献(地域益)、A世界の食糧供給増大への貢献(国際益)、そして日本の食糧安全保障(国益)の追求、という三つの「益」が盛り込まれました。PRODECERはこうした理念に基づいて行われた戦略的な事業だったのです。
――PRODECERがもたらした成果とはどのようなものですか。

セラード地帯に生まれた大豆畑と町。手前は大豆搾油工場(写真提供:本郷 豊)
本郷 70年代半ばまでは、世界の大豆輸出の約8割を米国が握っていました。当時、ブラジルの大豆生産は微々たるものでしたが、06年にはブラジルが大豆輸出の第2位を占め、アルゼンチン、パラグアイを含めた南米勢で、米国の生産量を大きく凌ぐまでになっています。つまり、大豆の生産が北半球(米国)と南半球(ブラジル等)に分散され、収穫時期が6カ月ずれたことで国際市場バランスが良くなり、大豆の市場価格が長期低位安定型になったのです。これは日本だけでなく、世界全体にとっても大きなメリットになりました。
現在、中国、インドなどをはじめとする食糧需要の増大で、大豆の国際市場価格は73年に次ぐ高価格を記録していますが、もし、セラード農業開発が行われていなかったとしたらどうなっていたでしょうか。PREDECERはそれぐらいインパクトの大きな事業だったといえるのです。 −今後の課題などはいかがですか。
本郷 セラード農業開発は大豆の生産にとどまりません。大豆生産地帯には搾油工場が建設され、その絞り粕を求めて養鶏・養豚農家が、またそこに畜産加工産業も集まるなどアグリビジネスが振興しています。作物も綿花、トウモロコシ、コーヒー、畜産と拡大し、近年はバイオマス・エネルギーの関連で砂糖キビの生産も広がってきました。
しかし、セラードは世界の中でも最も新しい穀倉地帯です。それだけに経験が浅いという不安もあります。また、世界的な穀物需要の増大とバイオマス燃料の推進は、アマゾンの開発圧力となっています。こうした中、セラードの持続可能な農業の推進とアマゾンの違法伐採・開発を防ぎ、世界の食糧需給の安定と気候変動を抑止するために、ブラジルとのパートナーシップをさらに強化していくことが望まれます。
※特集記事「ブラジル移住100周年と新たな連携」はこちらよりご覧になれます。
2008.01.31

